フェリス女学院大学を通い終わりました。

わたしは1浪を経て
2016年3月18日に卒業致しました。








フェリス女学院大学が嫌いでした。
でもいいところでした。





フェリス女学院大学の嫌いなところは、
お嬢様学校と言われるところです。




耳にタコが出来るぐらい聞かされて、
口を酸っぱく「少なくとも私はそうじゃない」と言いました。




お嬢様ではないけれど、
1浪で予備校に通わせていただいて、
さらに奨学金も負わせずに4年間、
いち公務員の父親が支えてくださったことは
豊か以外の何者でもありません。



わたしは奨学金で払うと言ったのに
父親は首を立てに振りませんでした。





感謝しかありません。
本当にありがとうございました。







冒頭にも述べたように、
心底嫌いでした。



でも、嫌いの原動力があったからこそ
わたしは卒業できました。




嫌いだからこそ
頑張れました。






成績は、4年間通算、平均約80点をとることができましたし、
卒業論文では、ゼミの中の優秀論文として文集に残せることができました。




嫌いのもつ原動力には驚かされました。



しかし、
頑張れた原動力は「嫌い」だけではありませんでした。



フェリス女学院大学には素晴らしい人たちが
多かったです。
それがフェリス女学院大学のいいところです。




芯が強くて、
でも周りに優しさを散りばめることのできる
そんな子達ばかりでした。






先生も、妥当な成績をくださいましたし、
何かとお世話になりました。
その中でゼミの先生は、
わたしの発言ひとつひとつ面白がってくださる方で、
私がもっていた発言に対する怖さを排除できるようになりました。









彼女らや、先生方がいたからこそ、
わたしは卒業を出来ました。
心より御礼申し上げます。







さいごに、わたしはフェリス女学院大学
ほんとうは嫌いではありません。


フェリス女学院大学に甘んじていた
堺彩乃が嫌いでした。



大学はただの舞台であって、
その上で、
走ることもできたし、
踊ることもできたし、
その舞台から飛び降りることもできました。




けれど、私は
そのどれもせず、ただただ立っていました。
もっと学ぶべきことがあったはずだったのではないかとも思います。




「とりあえず」の大学生活は、
私には向いていませんでした。



とりあえず行った先に
その先に意思がなければ、
楽しいは得られても
満足は得られない気がします。





しかし、私に、この4年間は必要でした。
自分と向き合う時間ができました。
と思っています(笑)





通わせていただいたこと、
そして、4年の間、様々な場面で
繋がることのできた皆様に
感謝致します。











ありがとうございました。
いつかまた、